一月のテーマ『スピノザ」
スピノザが求める真の善。
それは、追い求めるだけで人間の本性の力強さを得られる善
それを求めていく事がスピノザの考える“能動的に生きる”ということになる。
スピノザ哲学に能動・受動の考え方は重要である。
能動とは自分が存在する事に積極的になる行動や態度
受動とは自分が存在する事に消極的な行動や態度
つまり、周囲から何かを受け取ったとしても(私が〇〇される)、それが自分が存在する(生きる)為の行動だとしたら能動的
自分から自殺を企てたとしても(私が〇〇する)、それは自分が存在する(生きる)為の行動ではないので受動的
となる。
ここが一般的な能動、受動の考え方とは違う所。
スピノザは人間に能動的になる事を望んでいる。
そして、それこそが真なる善に近づく道である事を『エチカ』で唱えている。
世界が存在するのは誰のためでもない。
(幸福にしろ不幸にしろ)出来事自体は良いも悪いもなく、出来事が起こるのは、原因が秩序だって展開していった結果であり、受け取る側がそれをどう感じるかで幸か不幸かが決まる。
起こるべきことは何をしても起こるべくして起こる。
これは、どちらかというとプロテスタント的な考え方に近いかもしれない。
ただ、だからといって何もしないではなく、幸が訪れるように思考して選択、または不幸を避けられるように思考して選択をしていく。
先程説明した、能動的に生きる事を心がける。
しかし、それでも起こることは起こる。
もはや、それは受け入れるしかない。
これを運命に負けた弱さと見る意見が多いかもしれない。
ちなみに、私が接してきた物語には「運命は自分で切り開く」的な発言の元、様々な窮地を主人公が乗り切ってきたものが多い。
つまり、運命を受け入れることは不幸(もしくは悪いこと)とされる土壌が自分の根本にあるような気がする。
なんとなく今まで接してきた物語は多くがこの考え方だと思う。
どの物語も「運命を受け入れろ」と強く感じさせるのはなかった。
ただ、これを「受け入れることこそ強さ」とするのがスピノザだと言えよう。
この「受け入れる強さ」を認める事が期待や不安に左右されない精神に繋がり、あらゆる出来事に耐えられる精神の土壌になる。
そして、その時々で感じている感情を無理にコントロールしようともせずに、感情を自発的に説明し理解しようとする。
この感情は能動的か受動的か?
悲しみ、怒り、妬み、苦しみ、などなど、それは自分が存在することを積極的にするものか?消極的にするものか?
これらを理路整然と考え、言葉で説明出来るようになってくればしめたものである。
つまり感情や行動を言葉で説明できるようになることそのものに「能動的な生き方」がある。
そして、それを理性の楽しみとして感じるようになることをスピノザは『真の善』としているのかもしれない。
………なんちゃって(笑)
とりあえずスピノザの『エチカ』とその周囲の関連本を読んで捉えたものをまとめてみました。
自分が生きる指標となるものをもう少しで見つけられそうな気になれましたが、
こうして文章にしてみると、神だの善だの運命だの
かなり過激な単語が並んでいますね。
勿論、これがスピノザ哲学だ!というよりは
私がテーマを「スピノザ」にして本を読み、勝手に考えをまとめただけです。
というか、ほぼ関連本達を圧縮して同じこと書いただけですが……
少しでもスピノザ哲学の異質さや面白さを感じる助けになれたら幸いです。
看護師さん、哲学書読もうぜ(゚∀゚)